「自分が自分をどう思っているのか」



昌美先生 次元上昇 から

人間が本当に識らなければならないことは、自分の本性に対して畏敬の念をもたねばならない、そのことなのであります。
人間は決して弱きものでもなく、不完全なるものでもありません。人間は完全にして完璧なものであるという認識をもって、自分自身を見つめ直していかなければなりません。

初めから自分自身に対して畏敬の念をもって接するのです。自分の中にいかなる不完全さが存在ようと、
決してそれを認めず、自らの本性、輝いた神そのものを認識し見つめてゆくべきものなのです。

人間の多くは、業性のみの己を見つめ、決して本心の自分、輝いた自分、神そのものの自分、
完全円満なる自分を認識する眼をもってはいません。まず自分自身を尊敬し、愛し、そして自分自身を畏敬の念をもって認めてゆくことから始めるのです。

”我即神也”  この たった四文字の中にすべての真理が含まれ、
人間そのものが言い尽くされているのであります。
自分が神なら”人類即神也”、人もまた神です。人間即神也そのものなのです。
自分自身に畏敬の念をもって接すると同時に、すべての人間に対して畏敬の念をもって接していかなれば
ならないのです。

今生に起こることはすべて偶然ではなく必然です。前生の因縁をどうしても今生において消さなければ
ならないことも多々あるものなのです。
しかし、前生の因縁と神人の顕現とは、これまた一切関係ないことです。

自らの前生の因縁に把われるか把われないかは自分次第です。
把らわれつづけている人は、なかなか自らの上に神を顕現することは出来ませんが、
把われていないならば、神そのものを顕現することが出来るのです。

いかなる状況の人も、因縁は因縁で超えてゆかねばならないものです。しかし因縁とは別に、
自らを真理の光で輝かせることは出来るのです。
真理を実行する人として、
我即神也の宣言をし印を組みつづけてゆけば、いつか必ず神人としての自分を顕現することが出来るのであります。必ず、絶対に。
(1997年10月)



ピタゴラスさん 啓示録から

神との面談

あなたが存在している限り、いかなる状態、状況にあろうとも、常に自分は自分を意識している。
つまり常に、自己意識=自己イメージを持っている。

何を感じていようと、「私は、、、、と感じている。Iam feeling … …」
何を考えていようと、「私は、、、、と考えている。Iam thinkingthat… ….」
何を話していようと、「私は、、、、と話している。Iam talking about… …」
何をしていようと、「私は、、、、をしている。Iam doing …..」

このように、どのような場合でも、私は常に「私は、、、 Iam ….」を意識しているのである。

それぞれの自己意識=自己イメージが固有の波長、周波数を持つ波動を持つエネルギーである。
やがて、それらのエネルギーは一つの座標軸にまとめられ、物理的三次元世界と数学的
に統一されることになるであろう。

この自己意識は潜在意識に蓄積され、その自己意識に相応しい状況を次に来る時間の流れの中に現出させる。そして同様の意識、自己イメージを再現させてゆく。
これがいわゆる輪廻の世界である。この再現システムは因縁因果の法則、想念の法則と呼ばれる。
一般に人が言う自分とは、これらの自己意識の集積に他ならない。

ステップ① 無限なる赦し
先ず、「肉体が私であり、体験の蓄積が私である」という自己意識がある。
しかし、『すべては赦されている』という真理を受け入れよう。

これは無条件の真理である。赦されるのに善行、善徳も不要である。
自分の本心、真の自己は三次元世界の体験と完璧に切り離されている。
体験の世界は想念の法則によって投影されたものであるから、すべては空であると説かれた。
したがって、真の私は、「私は、、、、ではない。
I AM that I am not … …」としか説明できない。体験世界つまりこの三次元世界には私を定義する何ものも存在しない。


ステップ② 生地なる存在=神
宇宙全体が私であったならば、私は何を見、何を知覚できようか。
何も見ることもない。何も知覚することはない。それでも私は、今ここにいる。
あらゆる体験が始まる前から存在している。
私は光であり叡智である。
私は道である。真理である。生命である。
私とはその私である。
I am that I AM.

真の私はいつも「私は、、、」という意識の背後にある。自己意識の生地として常にそばにいた。
三次元世界の肉体の自己意識が黒雲であるならば、その背後には青空と太陽がある。
黒雲が晴れわたると、『天は澄み浄まり、太陽は輝いている』。

その青空や太陽のような生地なる自己意識は神意識であり、「私は今、ここにいる。I AM 」という自己意識である。
我即神也(God I AM.)の意識である。
その生地なる自分がそのまま顕れるから無為と説かれた。生地なる自分に任せるから全託と説かれた。


ステップ③ 無限なる創造力
今、ここで「自分が自分をどう思っているのか」。それだけが問題だ。
それ以外は問題ではない。
「自分は自分をどう思っているのか」、宇宙とはそれを映しだす鏡である。
<どう思っているのか>それが鏡のように映し出され、自分はその鏡の世界を体験する。
その映し出された世界、体験する世界が自己意識軸から発生する三次元世界である。

自己意識軸上の座標の数だけ三次元世界が存在する。
肉体界はそれらの複数の世界の合成された映像である。
観察者の自己定義が変わると、観察する世界も違って見えてくる。
これは量子力学が発見した法則だが、これが正に宇宙の法則なのである。
これは宗教と地球の科学が統一される接点でもある。

想念の法則(因縁因果の法則)とは人間に被せられた忌むべき鉄の籠にも見えるのだが、そうではない。
因縁因果の法則は神の想像力がネガティヴに回転してしまっているにすぎない。
元をただせば、その法則とは、「直霊が宇宙神を思いつつ自由に神のイメージを展開したもの
を三次元世界に顕現する」という、本来因果を現象化させるための神の創造力そのものであった。

あなたの無限なる創造力は今なお健在である。

もう一度、繰り返そう。今必要なことは何か。
「自分は自分をどう思うか」である。

自分が想像できる最高の神、自分が言葉で表現できる最高の神。その神聖者こそあなた自身である。
神はいつも『私は、、、』I am …を通してしか相見ゆることはない。
自己意識軸を通してでないと我々は神に行き着くことはできない。

道は一つしかなく、かつ狭いものなのか。その反対である。
この道は最もシンプルな道である。その道は易行道である。師もいらない。難解な経典も要らない。組織も要らない。戒律も要らない。因果の債務の返済も要らない。

只、必要なことは『私は神である。我即神也』と思うことのみ。宣言するのみ。印を組むのみ。あなたは『私は神である』と思ったことを次に来る時間の流れの中で体験することになるであ
ろう。

引用・参照文献
『天は澄み浄まり、太陽は輝いている』昌美先生の詩「地球讃歌」
「私は道であり、真理であり、生命である」ヨハネ伝14/6
「人にとって一切がアートマンそのものとなったときには、彼は何によって何をみるであろうか」、「非ず、非ずというアートマンは不可捉であります」ブリハッドアーラヌヤカウパニシャッド



※ 今、ここで「自分が自分をどう思っているのか」。それだけが問題だ。
それ以外は問題ではない。


※ 前生の因縁と神人の顕現とは、これまた一切関係ないことです。


これらの言葉にひきつけられました。

普段の生活の中で起こる自分の感情やそれに伴う言動が 一体どんな自己認識や観念から発生しているのか・・・と 
あらためて考えることが出来ました。
※ 人間は完全にして完璧なものであるという認識をもって、自分自身を見つめ直していかなければなりません。
まず自分自身を尊敬し、愛し、そして自分自身を畏敬の念をもって認めてゆくことから始めるのです。
 

今、これを実践していかなければ・・・・と思うこの頃です。

我即神也 人類即神也 大成就
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by mppoe-light | 2009-11-16 23:24 | ピタゴラスさん啓示録から