消えてゆく姿☆

消えてゆく姿の教え

どんな業想念が渦巻こうが、『こんなものは自分ではない、消えてゆくものなのだ、と否定すること。
これが宗教の根本なのです』。
そして、『人間は光そのもの、光明燦然たる生命なのだ!とつねに想い、内なる神を呼ぶのです。
ただひたすらに光明燦然たる神、直霊を見つめること、想うことです。これが根本です』(注1 )。

これは五井先生が根本と説かれる「消えてゆく姿の」教えのポイント。
一般的に、一気に「すべては空」と観じることなど困難なため、
五井先生は一歩一歩、消えてゆく姿を行じる道を説かれた。
注目すべき点が一つある。消えてゆく姿の教えは、自己意識、自己イメージの
修正を根本としている、ということだ。

注1「生命光り輝け」P.10-15
<マイミク・ピタゴラスさん 啓示録1から>

世界平和の祈りには、まず始めに 消えてゆく姿の教えがあります。
始めは、「世界人類が平和でありますように」だけでもいい。
でも
本来は、 消えてゆく姿で世界平和の祈り でなければならない。
祈りを続けていけば、
「業想念と本心が別れてくる、そうなったらしめたもの。」←これ五井先生の言葉です。

意識が本心の場にあることで、 業想念は本物ではなく消えてゆく姿(すべては空)だと
認めることができるのに、消えてゆく姿といいながら、意識は業想念の中に居る。
消えてゆく姿を理解するのに 始めは四苦八苦したものです。 

本心と業想念を分ける事、そして・・・
「注目すべき点が一つある。消えてゆく姿の教えは、自己意識、自己イメージの
修正を根本としている、ということだ。」


これがとても大切なことだ・・・と理解できるようになったのは、
やはり 我即神也、人類即神也の印のおかげだと思います。


凡夫は本来的に空なる現象界を見て、条件反射的に反応しながら言葉・想念・行為を現わす(注2 )。
凡夫はその世界の中で自己を定義する。
その自己イメージはプロジェクターにセットし直される。そして、不調和な世界が再生産される。色即是空とは、それらのすべての現象、知覚、反応、言葉・想念・行為、自己定義(イメージ)は無であると言う意味。

この空の教えも『どんな想念が渦巻こうと、こんなもの自分ではない。
空なるものを根拠に自分を定義することはできない。』という自己認識・自己定義の教えなのであった。

つまり、「自分は神以外の存在である」と定義するあらゆる事象、証拠らしきものはすべて空である。
本来性のものではない。無である。すべては赦されている、と言う教えである。


注2 三次元的因果説の凡夫は、外なる現象に対して条件反射的に反応しながら、
言葉・想念・行為を現わす。
四次元果因説の「我即神也」は内なる無限なる神性を、外なる現象界の言葉・想念・行為に顕現する
< 啓示録1から>


ごちゃごちゃしたノイズのような想念に意識を置いていると、
駄目な自分を本当の自分と想いこんでしまう。
そのため 我即神也 という言葉に抵抗感が出るのだと思います。
(業想念の中の罪悪感が「自分が神だとは思えない・・・」と足を引っ張る・・・)

業想念の自分は、3次元世界で創造された錯覚のような幻の自分、
だから、所詮は消え去るだけのもの。

人間と真実の生き方 では、
人間は本来、神の分霊であって、業性ではなく、  
と、はっきり書かれています。

古い過去の自分は、どんどん流して、本来の自分(神の分霊)を思い出さねば・・・です。

だから自分自身に呼びかけています。
我即神也! と。
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by mppoe-light | 2009-10-19 19:43 | ピタゴラスさん啓示録から