本心との対話☆☆・・・Ⅷ

気をつけて意識的に生活しないと、心は安易な方へ、
いつも想いのクセの方へ簡単に流れてしまいます。

目の前の出来事に、簡単に心を持って行かれてしまうので、
祈り心で生活を送ることが大事だなぁ・・・、しみじみ思います。

ある日は、ものすごく晴れやかで
すべてが赦せ愛せる気持ちになった~と思えば、
翌日は、なぜか どよーんと曇り空になったり・・・(笑)


「我即神也」、 これは外に向かって言うのではなく、自分に向かって
言うもの。 自分への言霊。
消えてゆく姿があってこそ、我即神也が成り立ち、
我即神也があるから消えてゆく姿の教えが行なえる。

2年ほど前でしたか、、、
祈りながら真剣に自分に問いかけてみたことがありました。
自分が自分を「我即神也」である、と言い切ることが出来るか。
「我即神也」としての自分を心底受け入れられるか。

応えは否でした。 
昌美先生の教えのとおり、「我即神也」と宣言してはいたのですが、
正直な気持ち、私は受け入れていませんでした。

自分の気持ちをよく見てみると、 自分が神であることを赦さない
ものがありました。 何かが自分自身を覆っていて
不自由にしている気がしました。

「この覆っているものが無かったら、私はもっと軽く、自由に生きられるのにな・・・
これはなんだろう・・・?」 そう思いました。
私は神ではない、神であってはならない、神のはずがない・・・そんな気持ち。
正体は 自己否定、自己限定の想い
自分自身を否定し、疑い、限定する想念。

これが消えてゆく姿のもともとの正体なのかもしれません。

五井先生は著書の中で、 「人間はもともと悟っている」 と書かれた部分がありました。
また講和CDの中では、 「守護の神霊も分霊も、そもそも自分自身のこと。」 と言われました。

肉体人間の自分が、修行して悟ることで 
まったく新たな自分=我即神也に至る・・・のではなく、
もともと自分の中に悟った自分(本心)が内在している、
それを受け入れる。信じる。 
最終的にそれを100%自分のものとしてゆくプロセスが
消えてゆく姿のプロセスだと思いました。

そう考えたとき、私は初めて 「自分は神でいいのだ」、と
我即神也を受け入れ、認める気持ちになりました。
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by mppoe-light | 2009-02-10 23:51 | 真理について思ったこと