本心との対話☆☆☆Ⅲ

教義から
人間は本来神の分御霊であって、業性ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。 
この世の中のすべての苦悩は、人間の過去世から現在に至る誤てる想念がその運命と現れて消えてゆく時におこる姿である。
 いかなる苦悩といえど、現れればかなるず消えるものであるから、消え去るのであるいう強い信念と、今から良くなるのであるという善念を起こし、どんな困難の中にあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し、人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得出来るものである

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五井先生の教えの基本は、 本心と業想念をわけ、
その業想念を世界平和の祈りで消してゆくというものです。

この消えてゆく姿 という教えは
「我即神也」が(人間は本来神の分御霊)があって、はじめて
成り立つもの。
人間は本来神の子だからこそ、それ以外は消えてゆく姿であって実在ではない。
実在ではない幻のような現実を 私たちは真実と信じてしまい、そのまま生きている。

自分の業想念+人類規模の業想念が具現化した濁流のような偽の現実に
翻弄されている状態。(無限なる平和!)
よって人類の歴史はは迷いと困難、過ちばかりが続き、
人々の信念には罪悪感と無力感が根付いてしまっている。(無限なる光!)

それを、五井先生は消えてゆく姿という言葉で ばっさり切り落として下さいました。
愚かな自分(人類)、弱い自分は、本来の自分ではなく、過去世から現在に至る
あやまてる想念が創造してしまった架空の自分(人類)。
本当の自分(人類)は神の子。

この頃私は、自分の本質が神であることが有難く思えるようになりました。
我即神也の宣言文、
「私が語る言葉は、神そのものの言葉であり、
私が発する想念は、神そのものの想念であり、
私が表す行為は、神そのものの行為である・・・・・・」

宣言文を口にすると、有難く嬉しい気持ちになります。
自分が神で良かった。人類が神で良かった。

こんな心境になるまで10年以上も掛かりました。

つづく
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by mppoe-light | 2009-01-28 21:49 | 真理について思ったこと