一旦 離れる

一旦 離れる

心がざわざわ・・・気持ちが我即神也に絞れない、焦点が合わず、ピンボケしたような状態。

そんな時は、一旦、離れること。

何から離れるのかというと............

現実の生活、日常の出来事、さらには世界の状況に向けられている心を静止して、形の世界から一旦離れる。そして今の「私」戻る。



戻るとほっとします。 

心が安定し、穏やかで平安で幸せな気持ちが広がります。

そうやって新しい自分を頂き直して、現実生活、日常の出来事を改めて取り組めばいいのだと思います。



祈り、印、言霊は有り難いです。 自分で自分の荷物や汚れを払い、新しい命(私)を頂き直せます。 

もちろん常に瞬旬刻々、天から新しい生命が注がれているのですが、長い間、形の世界こそが本物だと思う習慣が、本来の自分を忘れさせてしまいます。

だから、祈り、印、言霊はありがたいです。 守護霊、守護神さまを呼べることもありがたいです。


その、休みなく天から送られる生命(私)には、無限なるものすべてが含まれているのですが、固定観念に阻まれ、受け取りそこなっています。

ボーダーを超えなければ。

すべては完璧、欠けたるものなし、大成就



私達は大成就を受け取るに相応しい存在。受け取るのは当然のこと。

なぜなら私たちは神の分霊、宇宙神とつながる純粋な神の子。


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# by mppoe-light | 2017-05-28 16:29 | 真理について思ったこと

相手の「今」を観る

相手の「今」を観る

そう心掛けたい・・・と思います。

「我即神也 人類即神也」 そう宣言しているのだから、どんな人の奥にも神性がある、その神性を見つめ、認め、相手を受け入れるようになりたい。

そう思っています。

けれど、実際には難しいものです。 特に、身近な相手となると・・

難しいです。

過去に見た相手の嫌な部分、苦手な部分、嫌な想いをした経験が、今、神性を見つめ、受け入れようとするのを邪魔します。

昨日の事でした、スーパーから帰り、台所で買ったばかりの食材を整理しながら、Aさんのことが思い浮かびました。 どうやったらAさんのことを愛せるのだろうか。。。そう思った瞬間、 心の中に 「Aさんは神だ」という言葉が飛び込んできました。 

「ああそうだっ Aさんは神なんだ!」

と思ったら、あっという間に心いっぱいにAさんを愛する気持ちが湧き上がってきました。

それは以前、ハートのチャクラが開いた時に感じた気持ちと同じでした。



私はAさんが神そのものであることを分かっている、

私はAさんを愛しています。



しばらくするとその気持ちは収まってしまいましたが(笑)



でも、気が付いたことがありました。 

本物のAさんは過去にはいない、

本当のAさんは「今」にいる。 我即神也のAさんは「今」にいる。


と言う事です。



「過去はない、本来の姿は『今』にある。」と言いながら、、私は過去をつかんでいました。

「今」を見つめ、「今」に生きることの難しさを感じます。



毎日、私の思考は過去の中をさまよい、因果の創造を無意識にしている。

なんと無意味な創造をしていることか。。。

あ~真理を日常で実践することの難しさ・・・・(+_+)



過去はない、 毎瞬、毎瞬、宇宙神からの新しい生命が「私」としてここに降りている。 もちろんすべての人にも。


たとえ、過去に何があったとしても、

過去は、今の「私」には何の作用も起すことは出来ない。

今「私」は、完璧、欠けたるもののなく、大成就している。

今「私」は何も傷つかない、汚れない。

だから、過去にあったことを恐れることはない。

本物は「今」しかないのだから。



毎瞬、毎瞬、私たちの意識は、新しい状態、新しい場で生きていることを信じて、過去を思考に挟まず、相手の「今」を見つめなければならない・・・と思いました。

我即神也 人類即神也


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# by mppoe-light | 2017-05-19 21:41 | 真理について思ったこと

白光ノート「報道/自己決定と神魂 」から.......

今回の白光ノート「報道/自己決定と神魂 」、

この高い真理をどれほどの人が理解して下さるでしょうか。

どう受け取るかで、消えてゆく姿の理解・体得の深さが分かります。

 現象の世界の因縁因果の波に流れる自分と、五井先生が説かれる「人間は本来神の分霊」 を信じる自分「私」。

そして、

昌美先生の説かれる、人類即神也、すべては完璧、欠けたるものなしを受け入れる自分「私」。

どちらが本物の自分「私」だと信じているか。

人間は現象世界を生きる80年90年がすべてではないです。

もともと私たちは永遠の命をもった神の子。神聖な存在。

この地球に神の完全性を、完璧な世界を築くために降りてきている。

今、社会を動かしているのは一人一人個人の意識の集合。

その一人一人が、究極の真理、我即神也 人類即神也に目覚めてこそ、世界は恒久平和へと進化するのだと思います。 

世界平和の祈りは、過去からの延長線上の古い組織、古い構造を良くするためにあるのではなく、

祈りで天と縦に繋がることで、神性意識から創造される、まったく新しい神性の社会を創造するために祈るものであると思います。

 

平和も憲法9条も、国民一人一人の意識が守るもの。

守ると言っても、因縁因果の二元対立の思考で守るのではなく、究極の真理=神性意識が守るもの。でなければ、恒久平和にはならない。

一時的に平和へと取り繕っても、民衆の意識が低いままで、それが神性意識によるものでなければ、本物の平和にはならない。

・・・・・私はそのように考えています。

だからこそ、一人一人が究極の真理を身に納め、自立して行かなければならないのだと思います。



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絶対なる真理7  報道/自己決定と神魂


 『いかなる地球上の出来事、状況、ニュース、情報に対しても』よく心得て、接すべきである。同悲同喜が慈悲心であると言われることもある。しかし、真の愛は感情移入ではない。そのように「人類即神也」の宣言文は言う。

どんな出来事があろうと、『すべては自己決定である』。たとえ殺し殺されたとしても、『被害者もなければ加害者もない。加害者であろうと、被害者であろうと、魂的にお互いに納得済みである。決して偶然ではない。前生の因縁の消えてゆく姿である。原因、結果の法則によるものである。
この世における常識や観念、知識では計り知れない、奥深い自己決定によるものである』(07-11)

加害者を責めるのではない。被害者に胸を痛めるのではない。神魂を見るのである。

そのような現象に対して、『批判、非難、評価を下さず』、そして『神魂(人類即神也)を見なければならない』(07-11)

それこそが人類即神也の印であり祈りである。人類即神也の印は因縁因果に一切関知しない。人類即神也の印はすべての人の神魂を見出し、賛美する。そして、この印は人類に真理に目覚めるエネルギーを送りつづけるのである。

したがって、神人は『戦争の終結、食糧や物資の援助、救援活動は出来る人に任せておいて』(02-02)、
直接的に人類を救済するのではない。意識が現象を創ったのであるから、現象に介入するのではなく、人類の意識変革を促す印と祈りをするのである。

『二十一世紀、現在、引き起こされている戦争や紛争、テロや飢餓、貧困、差別、災害、疫病をなくすことには意味がない。表面的にこの状態を止めても全く無意味である』(07-12)。神人は『人類一人一人の内部にひたすら潜み、眠ったままの無限なる資質、無限なる能力、無限なる可能性を引き出す大いなる働きを担っている』(07-12)のである。

神人は人類の目覚めのために祈り、印を組む。それと同時に、自らの『信念により、欠けたるものの一切ない、大調和した輝かしい人生を創造してゆく』(07-12)のである。
神人は因縁因果という、罪滅ぼしと積徳という手法ではなく、生まれながらに備わった神性を顕現することに意識を集中してゆくのである。
しかし、この神性顕現も「心の法則」という「絶対の真理」に則って成就するのである。人類の目覚めも全く同じである。現象に現れた人間、システムを変えて改善しようとするのではない。

『誰もがその人に現れている現象の姿を見るのではなく、その人の本心、人類即神也そのものを見ようと試みるだけで、世の中は変わるし、人類の意識も変わってくる』(06-12)

先ずは、『自分の心を暗くするニュース、嫌な事件、悲しみや苦悩の映画、胸が絞めつけられるようなドラマを観るとこなどは、限りなく排除してゆくことが好ましい』(07-04)

神人は現象界ではなく、完成された平和世界、神魂に意識を集中し、その世界が降ろされることを祈り、感謝しつづけるのである。神人は現象界の玉石混交の自分ではなく、神性そのものの自分と人類に意識を集中し、その姿が顕現するようと祈りつづけるのである。
神人は自らの神性、無限なる能力、無限なる創造力を信じることで、神の姿を顕わしてゆくのである。自らの力で神の姿を顕わし、人類を真理に導いてゆくのである。

<白光ノート から>


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# by mppoe-light | 2017-05-09 20:29 | ピタゴラスさん啓示録から

信じることで変わる 選択・決断・決行

浄めるだけでは人類は救われないと思っています。

浄めることで、雲が晴れて明るくなり、相手に(人類に)真理への気づきが

起こった時、その気づきを究極の真理へと向かわせてあげなければならない、と思います。 

目覚めようとする人類の意識を受け止める場が 「神性復活」なのだ・・・と思っています。

2015年に富士聖地で神性復活が宣言されました。

これで、地球上で初めて、迷う人類の意識を受けとめ、究極の真理へ向かわせる場が刻印できたのだ・・・と、その時感じました。(もちろん私の個人的な感想ですが・・・。)


真の救いは、究極の真理 我即神也 に目覚めること。

因縁因果の原因結果の横つながりだけの輪廻の回転から、縦に(天に)つながる真理=世界平和の祈り・「我即神也」 に目覚めること。 

それは、『人間と真実の生き方』で五井先生が冒頭で説かれた真理、

「人間は本来神の分霊であって、業性ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。」 ということ。

現象世界で、神性復活するためには、守護霊、守護神のサポート、指導が欠かせないと思っています。

私自身、自分の感情が高まり上手くコントロールできないと、「守護霊さま守護神さまありがとうございます。」と、意識が縦(天に)に繋がるようにサポートを求めます。

人は、自身が何を信じているかで普段の言葉、想念、行為が決まります。

究極の真理を頭では判っていても、現実世界の只中にいると、

いつの間にか過去に生きる凡夫の自分になってしまいます。




本当に真理が分かったなら、本当に信じたなら、

自分から発する、言葉、想念、行為は 自ずと神性を顕しているはずです。
そして神性世界を創造しているはずです。

だから日々、意識的に生きるのだと思います。 

自分は本来何者か、何のためにここにいるのか・・を確認しながら。
真の世界を創造するために。



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絶対なる真理4   信じること  選択・決断・決行


 『(絶対なる)真理を一口で判りやすく述べると、あなたの人生の中で何が起ころうと、それはすべて、あなたが信じていることそれ自体が、あなたの人生に現れているのだということである。
あなたが信じているその意志に反して起こることは、何もないのである。信じていないことが起こる可能性はゼロである。

一体何を信じているのか。それは固定観念である。』(07-12




この真理は「心の法則」「想念の法則」である。信じることが固定観念であれば因縁因果となる。それが究極の真理「我即神也」であれば果因説の生き方になる。

我々はそのどちらでも選択できるのである。今までのことを言うと、『あなたの人生に繰り広げられてゆく善も悪も、幸せも不幸せも、病気も、事故も、、、あなたが死ぬ瞬間に至るまで、その因は、すべてあなた自身の信念そのものに起因しているのである。』(07-12


何があろうが、無かろうが不平不満、怒りで受け止めるのではなく、「愛と赦しと消えてゆく姿」で受け止めなさいということである。一朝一夕で出来ることではない。しかし、出来るまで努力する価値のある真理である。
それに加えて、果因説の生き方があることを忘れてはならない。果因説があれば、借財をすべて返済するまで待つことはない。大難は小難に、小難は無難に、大難すら無難にし、なおかつ、神性を顕現する道が示されているのである。その道は『進化創造』とも言われる。


現代版十二因縁ではないが、信念に続く要因についても繰り返し説かれる。

『(潜在意識の)一番の働きは、自分が何を信じているかを基準にして、選択、決断、決定が行われるのである。この選択こそが、人生を大きく二分するのである。』
(07-12)

これは『選択、決断、決行の真理』(07-02)とも言われる。

現象の受け止め方だけではない、いかに望ましい姿を顕わしてゆくのか。同じ原理、法則が使われるのである。


『自らの人生は選択により創造され、選択により滅びてゆく。その選択の基準こそが、何を信ずるかなのである。』
(06-10)

『自らのの結果を受け取る、というのが真理の法則であるから、ゆえに我即神也を信ずる神人には神の世界のそのものが顕現されてくる。

神人は未来の輝かしい神の世界を地上に顕現するために祈り、印を組んでいるのである。』(06-10


因縁因果説が絶対ならば、そして過去によって未来まで決定されているならば、『人間としての創造力、個の尊厳、個の自由意志が全く無視されることになる。過去の因果で未来は決まらないのである。自分の現在も未来も、自分の自由意志と創造力によって、いかようにもつくり出してゆくことが出来るのである。』(07-06


因縁因果説だけでは人類は救われない。果因説は人類にとって有難い生き方である。


<白光ノート から>


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# by mppoe-light | 2017-04-30 21:06 | 真理について思ったこと

究極の真理 絶対なる真理 そして祈り

白光ノートから 絶対の真理1,2を読んで、五井先生が教えて下さった、祈り=命がのりだす を思い出しました。


「我即神也」が「究極の真理」である。他方、「絶対なる真理」とは、その神なる人間が自由意志と無限なる創造力によって自分の人生を創ってゆくことである。

<絶対なる真理2  自由意志と創造力 から>



縦につながった(神性につながる)人間が、自らを信頼して生きることが真に生きること。真に生きることは祈ること



祈り=生命(いのち)を動かす

縦に真っ直ぐにつながり、「神性、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」

を肉体を通して顕す。 絶対なる真理(自由意志、無限なる創造力、能力)によって。



宇宙神から放たれた光=「私」 

今までもこれからも永遠にある「私」。

素晴らしい!今、「私」はここにいる! 



「私」は、“今”にいる。 過去には存在しない。

「私」は常に創造している。自分が気付いてもいなくても創造をしている。


心が過去に向かっていれば、神性から離れた創造をし、

心が今にあれば、究極の真理を形に顕す。

意識的に生きなければ と思います。 過去に向かおうとする心を振り切り、
自分の意志と選択で「今」を選ぶ努力が必要です。

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◆絶対の真理1


究極の真理とは、「我即神也、人類即神也」のことである。

それとは別に絶対の真理と言われる法則がある。

この二つの言葉は白光誌では全く100%使い分けられているわけではない。概ねといったところである。両者とも何度も繰り返されていることなのだが、それだけ重要なのである。

究極の真理とは本質論、認識論である。本質論は、現象の如何にかかわらず不変である真理のことである。

それに対し、絶対の真理とは現象論、行動原理である。

(省略)

絶対真理とは 『あらゆる現象の原因は、すべて自分自身の内なる心にある。その内なる心が外なる現象をつくり出している』 ということとされる(05-10)。



真に生きることは 『自分自身を信じることから始まる。自分自身を信じるとは、すなわち自分は運命に翻弄されるものではなく、自らの運命を支配し、創造してゆくものであるということを信じることである』 (05-10)とされる。

絶対真理、心の法則=因縁因果の法則という単純な理解では事足りない。これは単に起きてきた物事を受容する法則でもない。神人が天命を完うしてゆく道そのものである。  



◆絶対なる真理2  自由意志と創造力


 前回見たように、「絶対なる真理」とは心の法則であり、それから派生する真理のことである。もう一つの事例を見ておく。
 『生命の尊厳』(01-02)では、「絶対なる真理」は、次のように「自由と創造力」に関するものとして説かれる。


『すべては自由と創造から成り立っている。人類に与えられている平等とは、自由と創造力そのものだ。
この自由と創造力は、皆が考えている以上の働きをする。

それは、その無限なる能力を信じ、プラス思考ですべての物事を創造してゆくならば、その人の人生は、全く方向転換してゆく。

そして、その力は大いに発揮されてゆく。
なぜならば、それこそが絶対なる真理そのものであるからである。

内なる無限なる能力を顕現することによって、自らの人生の輝かしい未来を創造してゆくのである。』(01-02



絶対の真理の根幹にあるのが「自由と創造力」である。それは生命の権利とも言われる:



『神が人類一人一人に与えた生命の権利、自由と創造ほど尊いものはない。』(00-04


また、それらを如何にして発揮してゆくかが人類の課題と説かれる:


『人類が天より与えられし無限なる創造力と自由意志、そして無限なる能力、それらの天賦の才をどのように発揮してゆくかこそが、今生を生きる人類一人一人にとっての大いなる課題なのである。』(06-01


また、『すべては個人の自由意志という絶対なる法則に委ねられている』(04-04)とも説かれる。

自由意志は創造力とともに特別に重要視される:
『すべてはこの自由意志に任されているのである。原因は同じでも、個々人の意志によって、違った結果が生じてくるのである。この自由意志というものには、すごい権限がある。真に人間を動かしているものの正体は、自由意志である。

結果に導くのは、他の力でもなければ、神でもない。あくまでも自らの自由意志によるものである。』(04-04


この聖域には宇宙神さえ介入出来ないとされる:


『宇宙神は、人類一人一人の意志決定に介入することはなさらないのである。』(03-07
『自由意志は、人類一人一人に与えられている素晴らしい叡智である。ゆえに宇宙神は、人間の意識や心を決してコントロールなどなさらない。たとえ、その自由意志が善にも悪にも応用されようとも、人類一人一人の責任と、自由意志を尊重しておられるのである。』

(06-01)


「我即神也」が「究極の真理」である。他方、「絶対なる真理」とは、その神なる人間が自由意志と無限なる創造力によって自分の人生を創ってゆくことである。


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# by mppoe-light | 2017-04-25 21:24 | ピタゴラスさん啓示録から

復活そして顕現

我即神也 人類即神也の宣言文を読むとき、

私は、自分の中にある神性「私」が、肉体を通して現象世界に向けて宣言している

 と思って宣言しています。 

宣言文は、私の本体からの言葉、私自身の言葉 と思ってます。

呼吸法の印を組むとき、 

私は、心の中で、「神である私が印を組む、我は神なり」と思い、組むように

心掛けています。

2015年に神性復活が発足し、昨年は、「ソウル・オブ・ウィメン(SOW)神聖なる女性性の復活」が発足しました。

“多様でありながらワンネス”

富士宣言の中の言葉です。

私達は別々の個に分かれた存在ですが、それぞれ個人の自己意識が高まれば「私」という意識は大きく広がり、その広がった「私」の中に相手も含まれる、

だから相手=私。 別々に分かれていても一つ。ワンネス。

その時、私たちの心は自然に繋がり、当然のように分かち合い、赦しあい、称え合う。 そして恒久平和へ・・・

 

だから今、 

恒久平和は人類の神性復活、顕現にかかっている・・・

と思っています。

今年は今後の地球、人類の将来を左右する大切な時。伸るか反るかの時。

でも同時に ついに来るべき時が来た、時来たれり! と言える年ではないでしょうか。

2015年神性復活、2017年神聖なる女性性の復活、そしていよいよ2017年本格的に神性顕現が始動する・・・ そんな気がしています。

(そのために昌美先生は毎日命懸けで人類を支えておられるのだと思います。)


私達一人一人の意識が上昇すれば、富士ではさらに高い印や神事が降りてくるはずです。 そうなれば、さらに強い大いなる光を人類に向けて発信できるのではないでしょうか。


これから神性顕現を目指したいと思います。




私の直観は、ぶれてはいなかった!

我即神也! すべては完璧、欠けてるものなし、大成就!



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# by mppoe-light | 2017-04-17 21:37 | 真理について思ったこと

団体、組織について☆

凡夫の思考は無意識のうちに格差をつけたがるようです。

肉体人間観がもたらす固定観念が原因なのだと思います。。。。

自分の中の「我即神也」 の信頼が欠けていると、

基礎、土台の無い建物がぐらぐら不安定に揺れるように、

人は自分に自信がなくなり、自分の価値を外側に求めるようになってしまう。。

自分を確かなものにするために、外側の人に認められ、評価してもらうことで安心する・・・

その気持ちが、人より高く、優れていたい・・・と思わせる。

それが叶わないなら、せめて優れた先生、優れた導師につながっていたい。そのことで周りに評価してもらえる。自分も安心できる。 

これが宗教対立の始まりなのでしょうか。 

自分がつながる先生が一番であってほしい。本物であってほしい。

そうであれば、つながっている自分自身の価値も認められる。



神性を忘れることは、人間の心の基礎(土台)、根本、源をなくすということ。

なくした物を外側に求める。外側に力を求める。外側に存在価値を求める。

本当は自分の中に初めからあるものなのに。

これはたぶん平和運動の中でも起こりうること。

平和運動が、土台のない“自分”を支えてくる。だから自分の価値を平和活動に託す。神性「私」にとって、祈りは生きることそのもの。無限なる愛 あふれ出る愛から平和を訴える。 そこに小我の私はないはず。

*********************

少し前に、地方の宇宙究極の行事を終えました。

総括ではなかったのですが、気が付いたら 総括の役目になっていました。
県外の経験豊富な方々の多くの応援を受け、無事行事を終えることができました。


県外の応援が多い分だけ、こちらの自主性を抑えるのは仕方がありません。が、忍耐が必要でした(笑) 

ただただ、 「今自分がここにいるのは、宇宙究極の光を降ろすため、それ以外の感情は必要ない!」そう言い聞かせました。

おかげさまで、素晴らしい行事になりました。 行事経験のない私達ではここまで整った行事はできなかったと思っています。県内外の経験者の方々の指導のおかげと今は思っています。良い体験をさせて頂きました。

 大成功、大成就した行事ですが、私自身は達成感も感動もなく、次は5月、SOPPだ・・・と思うくらいでした。

ただ、二日間くらい力が抜けてぐったりしていました。

速く「私」に戻りたい。自分の内側の究極の真理に入りたい。切実にそう思いました。


今、思うのは、

団体、組織というものは難しいものだ、

と言う事です。


やはり根本は、神性復活、神性顕現 だと思います。


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# by mppoe-light | 2017-04-11 23:39 | 真理について思ったこと

「私」を取り戻す


「私」という意識は神界の私と繋がっている。

神界の私から地上で肉体を持った私に意識が届いているのだと思っています。

「私」という原点に戻ると、すべては自分の中にあるんだ・・・と思います。

肉体はここ現象界にあるけれど、私の意識は(私自身は)本当はここにはいないんだ。

私は神界から届いている意識。肉体を持つことで現象界で活動をしている

何のために?  地上で神の完全性を顕すために。すべては完璧、欠けたるもののない、成就を顕現するため。


毎日のいろんな出来事で感情想念は揺らぐけど、 ただの感情想念で動くことが、私が存在する目的ではないはず。



人類70億のそれぞれの「私」という意識は、光り輝く宝石のようなもの。

宇宙神から放たれた光の粒子。

70億すべての「私」が、すべてに愛され、充たされ、抱擁され、光り輝く宇宙神と一つに融け合う。



肉体はここにあっても、心は神界に向いていたいな・・・と思う。
その時、感情を支配しようとしていた出来事はどれも消えてゆく姿になる。

消えてゆく姿は実在ではなく、ただの虚構、偽物。

偽物に意識を注ぐなんて無意味なこと。



今ここに在る「私」を逃さないように、忘れないようにしたいと思います。

すべては「私」の中に、真理とは「私」の中にあるのだと思います。

我即神也 人類即神也


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# by mppoe-light | 2017-03-28 22:41 | 真理について思ったこと

消えてゆく虚構をつかまず、本体・神性をつかむ☆


人間という者が、日常自己だと思っている肉体的自己は、実はしっかりした本体をもたない泡沫のような、想念の波であり諸行無常的、砂上の楼閣的存在なのである



こんな瞬間瞬間に消えてゆくような想念の波だけをつかんでいて、人間の幸福だとか世界平和だとかいっていても、到底真の幸福も世界平和も実現しないのは、実にはっきりしていることなのである。


<天と地をつなぐ者 から>

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つかむのは神性。本来の現実世界 すべては完璧、欠けたるものなし、大成就をつかむ。



いつまでも、本体をもたない泡沫のような、砂上の楼閣のような虚構の現実をつかまないこと。

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3月号法話から


その大事なポイントとは、自分を信頼し始めたこと。自分に確信を持ち始めたこと。自分は出来るのだと思考が変わったことです。

世間とはちょっと違う生き方と言われても自分は大丈夫。


自分自身を敬い、我即神也をやりつづけ、本当に自分は神性そのものなんだと繰り返し習慣化されたその思考は、必ず現実に現われるということです。

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人が自分を見て、「吾は神を見たる」と思う。その前提になくてはならないのは、自分が自分を見て、「我は神を見たる」と確信することである。

この根拠は現象界にはなくていい。目に見えない神性を見ることがすべてである。それが『自分が自分に調和する』ということである。

『すべての根本は、自分そのものにある。正すべき相手は他や外ではなく、自分自身である。内なる自分との調和により、今まで否定的マイナス方面に偏っていた思考、言動が正されてゆく』(00-07)。 


<ピタゴラスさんの 鏡菩薩2から>

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3月号 法話から

本当に魂の底から、この真理がわからなければ自分を改革することは出来ない。

第一に自分の成就です。意識が成就させるのです。

人ではない、昌美先生でもない、五井先生でもない。

自分の固定観念をひっくり返すのです。

  


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# by mppoe-light | 2017-03-08 17:33 | 真理について思ったこと

五井先生の「宗教問答」から☆



・・・・

最後に最も大事な真理をお話し致しておきましょう。それは今まで説いてまいりました誕生や前世や再生などということは、人間の本体の世界、本心の世界のことではなく、あくまで業想念の世界のことであって、
人間の本体では常に神の世界において、光明燦然たる光を放ちつづけているということであります。

その真理は肉体人間の頭脳で知ろうと知るまいと、厳然たる事実であって、この世や幽界、霊界を往来している人間(霊魂)は、水に写っている影のようなもので、その実体はなく、いつかは消え去ってゆくものであります。

ですから、真理の面から一言にして云えば、人間が自己の前世を云々したり、過去世の因縁や今生の幸不幸にひっかかったりして、一喜一憂しているのは、消え去ったもの、あるいは今現われて消え去ろうとしているものを、把え、追いかけるよいうなものであって、あまり智慧のある話ではないのであります。

私が何故消えてゆく姿の教を説いているのかと申しますと、
人間の真実の姿、神と一つにつながっている神の子人間の姿を、この世に現わすために説いているのであり



この現象世界の出来事は、何もかも、時間的経過によって過ぎ去り、消え去ってゆくもので、変じ滅してゆくものである。 
ただ実在するものは、神の光のみであり、神のみ心であり、神の理念のみである、という真理があるからであります。



P204 P205 から




肉体人間の頭脳で知ろうと知るまいと、

たとえまだ我即神也 という究極の真理が充分体得できていなくても、

人間の本体では常に神の世界において、光明燦然たる光を放ちつづけている

これは厳然たる事実

だから、堂々と宣言します。 

我即神也 すべては完璧、欠けたるものなし、大成就!


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# by mppoe-light | 2017-02-23 22:26 | 真理について思ったこと